イギリスで行われていたCOP26が13日に閉幕しました。
話し合われている内容は、異常気候や気候変動をできるだけ緩やかにするため、
孫達後世の人類ができるだけ良い環境の中で生活し続ける事が出来るよう、
産業革命前からの気温上昇幅を、2℃を十分下回る水準で維持することを目標とし、さらに1.5℃に抑える努力をすべきとしていて
そのためには何をするかという事ですよね。
とてもヘビーな内容で、そこで話し合われている内容は、とても個人的には消化できない
誰かが考えてくれるであろう事、誰かが何か素晴らしい発明をして、
なんとかしてくれるであろう
そんな風に考え。現実には個人個人として何をすれば良いかから
目を背けてしまいます。
もう25年近く前に行われた京都議定書では
気候変動枠組条約の「歴史的に排出してきた責任のある先進国が、
最初に削減対策を行うべきである」という合意に基づき、京都議定書の下での最初の約束については、
まずはこれまで温暖化を引き起こしてきた先進国が率先して対策をするべきだ、という考え方が反映されました。
私にはその時のニュースに忘れられない思い出があります。
ちょうど今頃の季節
私はその時夕食の支度をしながら、テレビで語られていた京都議定書についてのニュースを
見ていました。
最後にアナウンサーは、「これは人ごとではなく、それぞれが生き方を少し変えて、
例えば電気やガソリンを少しでも大切にする。一つの物を長く大切に使う
そんな事から始めなければならないですね」と言う言葉でそのニュースは締めくくられました。
大切な事よねと思いながら見ていた私ですが
次の瞬間に流れたニュース映像に唖然としたのです。
その映像は、神戸のルミナリエの映像
そのキラキラした光のオブジェ・・・
今まで語られていた内容とあまりに真逆で
その落差があまりにはげしくて、どう考えていいかわかりませんでした。
その頃からずっとルミナリエや冬に行われる光のイベントをどうしても
見に行く気にはなれず
特に自然災害からの復興を祈るイベントとしては
どうしてもルミナリエというイベントが受け入れられず
一度もその時期に神戸を訪れた事はありません。
でもだからといって、私自身の環境への取り組みはと言うと・・・
ただ電気をできるだけ使わない、灯油もできるだけ使わない
そのためには、早寝早起き・・・家でいるときには暖かい格好をして
そして事務所では膝掛け前後2枚使い
コンビニではお箸やスプーンをもらわない
位しか出来てはいないので、なんとも言えないのですが。
今回のCOP26のニュースの取り扱いも
その数字についてや、各国それぞれの思惑や綱引き
についての話は流れるのですが
では具体的にどうすれば少しでも前を向けるか、
その覚悟を各個人レベルに問いただす雰囲気がないなと思いました。
でも自分達が幸せに過ごしてきた時代が後世に何を残すかは
これからの10年が大きく左右されると言う事だと思うと。
なんだかとても怖い様に感じます。